虫厭う姫のお話

私はサラダに入れるべくピーナッツを包丁の平で潰しながら
一昨年の悪夢を思い出していた。

以前住んでいた築30年のマンションでのことだが
ピーナッツの袋が空いたまま普段使わぬ引き出しに仕舞われており
黒いあいつ達がうまうまとそれを糧としていたのだ。
彼らの食べかけのピーナッツはそれはそれは身の毛がよだつものであった。

それからピーナッツを袋買いすることに言い知れぬ恐怖を感じるようになったのだが
何故か弊社の食品部署がピーナッツを社員に大量放出したのである。
地震を理由にしているが、ならば被災地に送ったらどうかと思う。

かくして私はピーナッツを再度所有することとなったが
今住んでいるマンションはまだ彼らの気配は無い。
勿論、全ての食品は厳重にジップロック
一切の食べかすを許さぬ態勢をとっている。

銀座のママ(83)は彼らをあぶらむしと呼ぶ。
最初はてんで何を言っているのか分からなかった。
植物に付着する小さな虫だと思ったからだ。
この歳の方は皆そうなのだろうか。

何しろ、あぶらむしが嫌いだそうで
「あぶらむしが出たら死んじゃうわね。」
と言う。
シャレにならないとはこのことだ。
いくばくかの余命を握るあぶらむしよ、
どうか今年も遠慮してあげて欲しい。

サンタクロースが捨てられないお話

捨てられないものってあるわね、という話から、この話は始まった。

以前ママ(83)が家の近くの金物屋さんに鍋を買いに行ったところ、そこの店番の女の子がとても綺麗でついホステスにスカウトしたそうだ。
ママはいつも自らスカウトする。
そのくせ、この店で売れっ子になった子はみなかわいくなかったと豪語する。

「それで、来てくれる(お店で働いてくれる)っていうもんだから、そこでこんな大きいサンタクロースを買ったの。」
空中に指でサイズ感を描いてくれるが、かなり大きい。

鍋を買いに行って、
女の子をスカウトして、
成功したからサンタクロースを買ったわけか。
そんな形の感謝の表し方があるだろうか。
そしてまがりなりにも鍋を買いに行ったのだ、もう少し鍋の用途に近いものは無かったのだろうか。

結局、女の子の彼氏が猛反対して、お店で働くことは叶わなかったという。
女の子は居なくなり、ママの家には大きなサンタクロースのみが残された。

「その内に汚れて顔が真っ黒になっちゃったから捨てようとして」

白人のはずのサンタの顔が真っ黒に!
どれだけ劣化が進行する家なのだ。
確かに、マネキンの頭がぼろぼろになった実績がある。
この家だけ劣化スピードや時流がおかしくてもうなづける。

「マンションのゴミ捨て場の棚の所に置いといたんだけど、お手伝いさん(その当時雇っていた。お店も繁盛していたのだ。)が持って帰ってきたのよ。」
「捨てられないもの」の意味はそうだったのかと思う。
もうちょっと人情味のある話が聞けるのかと思っていた。

結局、人形を拭くクリーナーのようなもので真っ黒い顔は元に戻り、今も家に居るらしい。

ちなみに彼女はサンタの持っている袋を「宝の袋」と称していた。
サンタクロースのコンセプトを間違えている可能性大だ。

消えた頭と開かずの間のお話

ママ(83)と話していたアヤがひどく驚いた。
「ええ!そんなことってあります!?」

ママはヘアピースをしている。
髪を盛る、というか、補填している、と言える。

帰って脱いだら20分ブラッシングするのだそうだ。
20分というのも流して聞いていたが、改めて考えると長い。
そのヘアピースを置いておく人頭型のマネキンのようなものがあり、アヤが以前ママに頼まれて2体買ってきたのだが、そのうち1体を無くしたという。

アヤはもう5年もこのバーで働いており、大方のママのおかしな話を甘んじて受け入れているが、驚くのも無理からぬ話だ。
仮にも人の頭ほどの大きさとインパクトのあるものが、一人暮らしのマンションからそう消えるものではない。

それに対してママも買ってきてもらったものを無くしたことを申し訳なく思ったようで、弁解するようにこう言った。

「多分開かずの間にあるんじゃないかと思うんだけど。うちはね、開かずの間が広いんですよ、割合い。」

開かずの間?

アヤと私の間に突っ込みたくても触れてはならない、微妙な空気が流れる。
何となく想像していたママの部屋は、一瞬にしてダンジョン的な様相を醸し始めた。
なぜわざわざ不思議ワールドの深みを出すような表現をするのだ。
わくわくしてしまうではないか。

開かずの間が比較的広いというアピールをされても、一般的な相場が分からない。
大体、「開かず」なのに物がその中に入り込んで行方不明になるとはどういうことだ。
何部屋あるのか分からないが、マンションで一部屋開かずだと大分狭くなるのではなかろうか。

「うちの冷凍庫はパンがぎっしり詰まってるの」
様々な思惑が渦巻く中、ママの話は既に彼方まで飛んでしまっていた。

ちなみにアヤに持ちかけたのは、残ったもう一つマネキンはぼろぼろになっちゃったからまた買って来て欲しいという依頼だった。
無くしたのもさることながら、ぼろぼろになったのも衝撃だ。

果てしないお食事のお話

かつて、こんなに他人の普段の食生活の詳細を把握したことがあっただろうか。

ママは食べることが好きだ。
食べ物の話がよく出てくるし、お客さんに積極的に外食に連れて行ってもらおうとする。
ときには「なかなか連れて行ってくれないから自分で電話しちゃいましたよ。」といって自ら予約をとってしまう。
連れて行ってもらうにも関わらず。

そんな彼女は、土曜にまとめて買い物を済ませ、それを一週間で消化する。
それを逐一報告してくる。

タイムスケジュールから説明すると、朝ご飯が14時、夜ご飯が17時。出勤が20時。家に帰って2時にクッキーという流れだ。

とにかく牛肉が好きだ。
「好きな食べ物は牛肉」
その選択に一寸の迷いも無い。
男子中学生のようではないか。
日曜から水曜はまとめて買った牛肉を少しずつ焼いて食べる。
つけあわせにポテトとたまにきのこを焼く。
水曜には牛肉を使い切ってしまう為、あとの木金は豆腐しか残っていないのとしょんぼりする。
目黒に住んでいるのだ、いくらでも買い足しに行けるだろうに。
あとハムが好きだ。土曜に肉屋で塊のハムを7枚スライスしてもらい、毎朝(午後2時だが)1枚食べる。
豆乳も好きだ。「豆乳はちゅうちゅう飲みますよ。」と度々言っている。ただ、しきりに「あの茶色いパックの100円くらいの」と言っている為、飲んでいるのは麦芽コーヒーなのではないか疑っている。
そして「なんでも100円くらいの安いスーパーで夜2時までやっている」というなんとか市場というスーパーを多用し、ここでバナナ4本入りを買い、1日1本食べて3日目に残った1本を捨てる。
あと1日くらい持つのになぁと勿体なく思うが、ワールドではそういうことになっているのだからしょうがない。

納豆もよく食べているようだ。
ママの納豆には実に色々な薬味が入っており、非常に魅力的である。
私はこの話を聞いているとお腹が空く。

ただ納豆ご飯の利点を「噛まなくてもいいところよね。」と同意を求められたのにはさすがに賛同しかねた。
飲み下すものであるらしい。

こうして、私は彼女の主治医並みに食生活についての正確な情報を得ることとなった。
主治医としては、できれば、納豆ごはんも噛んでほしい。

ゼリーへの疑いのお話

ママはピエスモンテのクッキーが大好物。
何かと言えばピエスモンテの話が出て来る。

「こんなちいちゃな箱で2000円もするのよ。これをね、夜寝る前に一枚食べるんです。牛乳と一緒に。それが一日の贅沢なの。」

こんなちいちゃいことを伝える為に、カウンターに指で長四角を描く。
カウンターはママがサイズ感や形状を口で説明しきれないときに活躍する。

驚くべきことにこの年になって親知らずを何本も抜いており、週1回歯医者に通っているのだが、歯が痛いときはこのクッキーと牛乳しか摂取できなくなるという。
83にして惜しげも無くスパスパ歯を抜いてゆく勇姿の話の席もぜひ設けたいところだ。
普段は1日1枚の贅沢なのに、このときばかりは一層贅沢をせざるを得ないようだ。

ママによると、ピエスモンテのケーキは日本一高いらしい。私は少し疑っている。

そしてゼリーが苦手。

「ゼリーってのはどうしても歯にくっつくでしょ。ぺちゃぺちゃしちゃってだめよ。この通り沿いにゼリーのお店があってひとつ頂きましたけどね、色がきれいなだけね。」

歯にくっつくゼリーなど聞いたことが無い。
何度かに渡るゼリーへの嫌悪感の話を繋げたところ
1.べたべたしている
2.柔らかいようで固く、噛み切れない
3.色とりどりで小さい
という特徴がヒアリングできた。
恐らくグミだ。

後日、例の歯医者の後クッキーと牛乳しか食べられなくなった彼女にうっかり「じゃあゼリーなんかいいんじゃないですか?つるっとしてて」と言ってしまったがあとの祭り。

「ゼリーはね、あれはいけませんよ。歯にくっついちゃって。普段でもくっつくっていうのにこんなときはとても食べれたもんじゃありませんよ。」

何をとんちんかんなことを言ってるんだ、こいつはという口ぶりでまくしたてられ
私は一切の反論を諦めた。

あのつるりと喉越しの良いゼリーのことは何と称せば伝わるのだろう。

謎の鍵のお話

さて、私が初めてこのバーに来たときの話である。
ちょっと見学のつもりが行ったらすぐに働く方向で話が進められた。

強引ではあったが、初対面のママの印象はかわいいおばあちゃんという感じ。
首がちょっと前に出ているから、からくり人形を彷彿とさせる。
平たい丸顔で肌もきれい、83という年齢は感じさせない。
若い頃はさぞかし可愛かったのだろう。
そして出会うなりよく喋った。噂に違わない。ぺらぺらがべらべらになり、そのうち自ら少し低めにあははと笑う。

店内は思ったより狭く、使い込んだカウンターに壁際がソファーだ。
アンティークな雰囲気に、ところどころマッチングを気にしない異色な雑貨が置かれる。
例えば、通年クリスマスリースとまつぼっくりが飾られているし、ランタンの脇には猿や馬の置物。
干支を集めているのかと思いきや、ガラスケースに入った陶器のネコ、そして入り口付近に異様に大きなマトリョーシカが鎮座する。
白い陶器の手の置物の上に赤いハートのガラスが置いてあるのが一番よく分からない。
私はつい、いろいろと断捨離してしまいたい衝動に駆られた。

そして、バーカウンターの上の天井近くに西洋アンティーク調の鍵が並んでいる。
大小様々、錆びたようなものから金ぴかのものまで。
「これはね、みんな海外旅行や出張に行ったお客さんに買って来てもらったのよ。お土産何がいい?なんて聞かれるといっつも鍵をお願いしますっていうの。口紅や香水だと気に入らなかったりするでしょう。その点鍵だといいわよね。」
鍵もそんなにオールOKな代物でも無いと思うが、確かにこの店においてはその他の置物よりはるかに馴染んでいる。
「前は天井一周するくらい何百個もずらっーとあったのよ。今はもうこれだけなの。どこへ行っちゃったのかしらねぇ。」

天井にディスプレイされているものがそうちょくちょく無くなるものだろうか。
そう。
思えばこのとき初めて、この人がメルヘン界に足を踏み入れているという疑惑をふと感じたのだ。
そして、のちにそれは間違いでなかったと実感することとなる。

その日、お客さんがマトリョーシカを落として割った。
彼女は狭いカウンターにおいてあまりに存在感があった為、私はなんだか少しほっとした。

小さなバーでのお話

さて、始めるとしましょう。

これは私の身の周りの珍奇なワールドの記録である。
恐らくは、私の勤務先のバーが頻出するであろう。
まずは、紹介から。

そのバーは銀座のはじっこにある。 
古い友人、綾の紹介で働きはじめて約半年。だいぶ慣れてきた。
接客に、というより、ママの話に。
ママはお年寄りのカテゴリー内でもご長寿の域に達している。

お客さんは常連ばかりだが、一日一組か二組程度だ。
日によっては一組も入らないこともある。
そんなときはカウンターに座り、只管ママの話を聞く。話は日を変えて繰り返され、二巡、三巡とするが、一日の内に何度もしない点は救いだ。毎回内容が変わらないところを見ると決して話を盛るタイプでは無いのだろう。正直なのだ。

私は左横に座るママの話に同じ体勢で微笑を浮かべながら相づちを打ち、時折首が痛くなる。ときには、このまま首がつるのではというスジ系の痛みが襲う。
綾は優しいけれど、私を紹介する前に「ママの話が長いのが苦痛」とこの仕事のデメリットについて説明してくれていた。

内容はたいがいママの身の回りのことについてなのだが、微に入り、細に入り、延々と説明してくれる。
例えば、あるケーキがおいしいという話だとしよう。そのケーキがいつ、誰に紹介されて、その人の職業は何でその会社のビルには自動改札のような入り口があり、秘書が二人居るが片方の方が仕事ができ、かつてその会社に集金に行ったときに乗ったタクシーの運転手が群馬の外国語学校を出ており、スペイン語が喋れ、スペイン語とイタリア語というのは似ているというが、私はスパゲッティは好きだがピザは嫌いで、で、そのケーキがおいしいのよ。

最終的にケーキに戻れたら幸いである。
ある出来事の説明に出て来た人物は、ちょい役だったはずなのにいつの間にか主役になり、話の潮流はあらぬ方向へ発展する。

相手に必要なことしか話さない私にとって、それは一種カルチャーショックだった。
そしてそのワールドでの出来事はママの管轄下に置かれているため、私の生きる21世紀とはまた異なる常識を持ち、それほどまでに説明されても結局よく分からなくなる。

そして多少のワールドの不思議さについては目をつぶり、受け入れ、受け流す必要がある。だって、ここは彼女の作り上げたワールドなのだから。
そうやって、銀座の片隅に今夜もこの店は佇む。