うさぎのお話〜疑惑〜

ママのウサギ好きは今に始まったことではない。
かつて、マンションの裏手にこれもまた大きなウサギが飼われていたという。
ウサギは檻に入れられ、外で飼育されていた。
ママは来る日も来る日もウサギの元へ通った。
勝手にモグモグちゃんと名付け、それはそれは愛おしんだ。

ある日、立派な小松菜を入手したママは、
葉先の柔らかいところをめいっぱい摘んでモグモグちゃんに進呈した。
モグモグちゃんは喜んでそれを頬張った。
モグモグモグモグ食べ続けた。
それが不幸への序曲とも知らずに・・・

翌日、いつものようにママがモグモグちゃんのところへ行くと、まさにモグモグちゃんは家の方に看取られて亡くなる直前だった。
獣医の見立てでは、食べ過ぎ。
・・・明らかに昨日の小松菜だ。
ママは、何も知らない飼い主の方々の中に割って入り、末期の水を飲ませたという。
ウサギに水は良くないのではと思ったらしいが、飲ませた。

こうして、モグモグちゃんとの蜜月は終わった。

翌日、モグモグちゃんの檻に綺麗なカサブランカが供えられていた。
誰か、ママと同じくモグモグちゃんのファンだった人がその死を悼んだのであろう。
ママが通りかかると、飼い主の方々が出て来て「カサブランカをお供えして頂いたのはあなたですね。」と涙を浮かべた。
ママは、つい「そうです。」と答えた。

うさぎのお話〜序章〜

ママが目黒駅のホームで終電を待っていたら
隣に「何か大きなもの」が寝そべっていたという。
何かと思ってよく見ると、口をもぐもぐさせており、その横にはおじさんが居た。
それはでかいウサギと飼い主のおじさんだった。

「触るかい?」
おじさんは不敵な笑みを浮かべ、ウサギをよこした。
ウサギは名をメグちゃんといい、おじさんはいつもメグちゃんを連れて飲みに行くという。
「今日は五反田だけど、目黒も行くよ。」
ママは動物アレルギーがあるらしいが、果敢に触ってみた。

そのうち電車が来ると、おじさんはメグちゃんを強引に袋に詰め、電車に乗った。
ゲージか何かを袋と称しているのだろうと確認したのだが、
「ひもできゅっと縛る布の袋」だったらしい。
ひもできゅっとしばったところからメグちゃんの足が出ていたという。
何とも粗らしい連れの扱いではないか。
ママはすかさずおじさんの隣の席をキープし、銀座のお店の名刺を渡した。
メグちゃんに来て欲しくなったのだ。

そんな話をしながら、ママは死んでしまうのではというほど遠い目をしていた。
「ウサギにはね、色々思い入れがあるのよ。」

少々長くなるので本編へ続く。

1月1日零時零分のお話

ママの家の留守電は、いつ録音されても
「イチガツ、ツイタチ、レイジ、レイフン。」
とアナウンスするそうだ。
よくその真似をしてくれる。

おめでたいアナウンスだが、ことあるごとに直したい、直したいと言っている。
シルバー人材センターから庭師を呼んだとき見てもらったそうだが、さじを投げられたそうだ。

ある日ママは電話の取り説を持ってきて綾に渡した。
「あなた直せるかしら。」
本体も無いのにどうすればいいんだ。
優しい綾はそれとなく矛先を変えた。
「こういうのは北さん(渋いバーテン60代後半)の方が詳しいんじゃないですか?」
「だめなの。北さんには今別のことをお願いしてるのよ。」
見ると、北さんはスティックのりの使用方法を説明させられていた。
仕方なく取り説を読み、結局
「ここに書いてある通りにすればいいんだと思います。」
としか言えなかった綾。
無理もない。本体は手元に無いのだから。
だが最早ママの興味はスティックのりに移り、本当につくのか懐疑的な発言を繰り返していた。

サンタクロースの仲間のお話

以前捨てられないサンタクロースの話はしたが、
ママの家にはそれ以外にも仲間が大勢いるようだ。
「うちはね、ソファーいっぱいにぬいぐるみがあるのよ。まず、こんな鳥ね。こんな形の鳥なのよ。」
指でカウンターテーブルに描いてくれる鳥の形状は、およそ鳥とは思えない。
ママにしては詳しく描いてくれようとしているのだが、いかんせん見当がつかない。
ひょうたん的な形の先端に、ささっと素早く小さく丸を描く。
仕上げの丸に並々ならぬこだわりを見せているが、果たして鳥のどの部分だ。
しかしこの動きを延々繰り返すもんだから納得せざるを得ない。

「あと黒いこんなの。大きくてね、目を開けたり閉じたりするの。」
形状は丸。
だいぶ大きい。
目を開けたり閉じたりするとは、赤ちゃん人形だろうか。
黒いというから黒人の?
「黒人じゃないのよ。こんな黒くて毛のもじゃもじゃ生えた。とにかく目を開けたり閉じたりするのよ。」
何度も大きな丸を描く。しょうがない、そういうものがあるのだろう。

「あと白い親子。」
「え、何の親子なんですか?」
「分からない。その隣に男女カップルのお人形が居るんだけど、その男の子がよそ見するもんだから、浮気しちゃだめよって直すのよ。靴も履かせて。冬は帽子とマフラーを付けるの。」
白い親子に対して相当愛情が薄いように思われる。
「そのお人形が立つとこんなくらい。」
初めてカウンターの面から手の高さで大きさを表現した。
おっと、予想以上にでかい。
80cmはあろうかというサイズだ。これが2体・・・。
というか、全体的にみなでかい。

「あと玄関にヨークシャーテリアの陶器の置物ね。
これはうちに来た人はみんな、入ってもわんちゃん大丈夫ですか?って聞くわね。
ネジを巻いておくと、ドアが開いたらワンワン吠えるの。うるさいからネジは巻いてないの。これのダックスフントをお客さんにあげたら、一人で帰っても迎えてくれる犬ができて嬉しいって言ってくださったの。」
だいぶコアなものをあげたようだが、気に入ってくれてよかった。

「それで、しばらくしてから『僕ダックスフントはあまり好きじゃないんだ』て言うのよ。言わなくてもいいじゃないねぇ?まぁ、私もあまり好きじゃないんだけど。」
 
 あああ。
 確かにもらってしばらくしてから言わないで欲しいな。

不可解な皺のお話

ママはかわいい。
いまだそれ相応の老人にはナンパもされる。
何より肌が綺麗で83にしては皺も少ない。
目尻なんか笑い皺も無い。その秘訣を聞いてみた。

「あたしは皺は少ないのよ。
お金がある頃は外国の何万かするような化粧水も使っていましたけどね。
いまじゃ、アロエの液にグリセリンを混ぜたやつだけだけど。
あとはね、キオスクでお姉さんからもらう小ちゃいのを塗るくらいで。
キオスクに行くといつももらうの。」

キオスクなんて言葉が出て来るから一瞬にして話の流れを見失った。
キオスクで化粧品のサンプルをもらっているらしい。
マツキヨの可能性を感じる。

「でもね、ああいうの(サンプル)に書かれてる文字ってすっごく小ちゃいから何塗ってるか分からないのよ。これは何て書いてある?」
ポーチからおもむろに小さなチューブを取り出した。
エスティーローダーのロゴが入っている。
私はかすかに判読可能な表示を読んだ。

「シミとかに利く美容液みたいです。」
「あら、そう。10年前のなんだけど大丈夫かしら。」
この場合、物もちがいいのも考えものだ。

「この前は落とすやつ塗って寝ちゃった。朝気付きましたけどね。」
化粧落としを塗り込んでそのまま寝たというのにはゾっとした。
絶対に間違えたくないミスだ。

「まぁね、だから特に何もしてないわね。皺は少ないんだけどおでこにだけはあるのよ。」
 確かに、頬などは綺麗だが、おでこには何本か深い皺があった。
「この皺は15の時にできたんですよ。
あるときパーマをかけたのよ。
そうしたらおでこにパーマ液が付いてニキビができてね、歯医者さんに行ったら、そこの歯医者がまたエロ親父みたいな人だったんだけど、とにかく歯医者が治してあげるっていうもんで、黄色い液を塗られたの。それで包帯巻かれてね。何日かしてその包帯を取ったら、皺になってたんですよ。」
ホラーのような話だ。
パーマ→ニキビ→歯医者という関連性の乏しい流れが気になったが、いつものことだ。

あのとき、パーマをかけなければ、歯医者でなく皮膚科に行っていれば、と私は悔しくなった。

犬の記憶のお話

前述のとおりママの話には虫や動物がよく出てくる。
虫は嫌いで動物は結構好きだ。
庭でひよどりの餌付けもしているが、えさを狙って来たカラスは傘で追い払う。
その場面のみ見るとあたかも
「近所に一人は居る名物婆さん(ハデバデしい色彩の服を好み、人や動物に敵対心を持ち、寄るものあらば怒鳴り散らす等が特徴)」のようになってしまうが
基本的にはかわいいお婆ちゃんである。

ママがまだ裕福で、旦那さんが存命であられた頃、犬を3匹飼っていた。
プチ子ちゃんとナポというヨークシャーテリアと、太郎という雑種。

太郎よ・・・!
なんというネーミングによる犬種差別。
しかも太郎のみ外で飼われていたという。

プチ子はメスで、ナポはオスだ。
「プチ子ちゃんとナポは仲が良かったんだけどね、子供なんて出来たら大変じゃない?それでちゃんと子供ができないようにしたの。」
「去勢手術ですか?」
「手術はしないんだけどね、パンツを履かせてたの。」
なんと無様且つ不完全な避妊方法だろうか。
どこが「ちゃんと」だ。
「まぁ、結局目を離した隙にパンツを脱いで子供が出来ちゃったんだけど。」
そうなるわな。
という感想を抱いた。

子供らは、無事当時のホステス達にもらわれて、大事にされているらしい。

ちなみに太郎の元には、近所のガラス店で飼われていたジャーマンシェパードが通うようになったらしい。
太郎よ、実はメスなのか?という更なる悲しい疑惑が胸をよぎった。

虫厭う姫のお話 クモ編

彼女の前には「蜘蛛は縁起が良いから殺してはならぬ」という言い伝えは力を無くす。
蜘蛛の糸など地獄には垂れてこない。
とにかく、蜘蛛を見たら、コロス!
これが老人にあるまじき彼女の虫論である。

という話はよくしていたので、蜘蛛とママが犬猿の仲であることは知っていた。
ただ、その撃退方法が想像を絶していたのだ。

「今日もね、クモを一匹生け捕りにしたの。
昨日顔を合わせてね、居るなと思ってたんだけど今日ついにやったんですよ。」
 
「こういう肩に貼るアレがあって、肩やなんか痛いと貼るのよ。
割合い高いんですよ。
それでペタっと捕まえて畳んでシューっとするやつをかけて殺して捨てたの。」

どこが生け捕りだ。

というか、問題は肩に貼るアレって湿布だ。
なんて斬新なアイデアだ。

だがこんな斬新を目の当たりにしても、なんでも無いフリをするのがこのワールドのルールだ。
あまり「あり得ない」とか言ってはならない。
私はあえてその詳細を聞くことで冷静さを保った。

「その場で肩に貼ってたやつを剥がして捕まえたんですか?」
「いえいえ、違いますよ。
小川軒のレーズンウィッチの箱がアレ入れになってるんだけど、そこにアレを剥がしたのをしまっておくの。
それでね、掃除はすませちゃうんです。 
毎週日曜に掃除するんだけど、カーペットも畳もアレでペタペタやると髪の毛なんかも全部取れちゃうの。掃除は日曜に一回ね。」
「湿布で、ですか?」
「そう。」

おお、冷静を保つつもりが更に斬新な掃除方法が出てくるとは。

つまり使用済みの湿布を使用済み湿布入れとしているレーズンサンドの空き箱に保管し、それをあたかもコロコロのごとく使用しているという。
まさか湿布側も、そのような形で新たな生を受けるとは思ってもみなかっただろう。
私のことそんな目で見てたなんて!と肩を震わせたはずだ。

「割合い高い」という発言からも「一回使ったくらいで捨てちゃ勿体ないわね。」と思ったであろう思考が読めた。
読めたは読めたが・・・
私もまだまだママを理解できていないと恐れ入った。