小さなバーでのお話

さて、始めるとしましょう。

これは私の身の周りの珍奇なワールドの記録である。
恐らくは、私の勤務先のバーが頻出するであろう。
まずは、紹介から。

そのバーは銀座のはじっこにある。 
古い友人、綾の紹介で働きはじめて約半年。だいぶ慣れてきた。
接客に、というより、ママの話に。
ママはお年寄りのカテゴリー内でもご長寿の域に達している。

お客さんは常連ばかりだが、一日一組か二組程度だ。
日によっては一組も入らないこともある。
そんなときはカウンターに座り、只管ママの話を聞く。話は日を変えて繰り返され、二巡、三巡とするが、一日の内に何度もしない点は救いだ。毎回内容が変わらないところを見ると決して話を盛るタイプでは無いのだろう。正直なのだ。

私は左横に座るママの話に同じ体勢で微笑を浮かべながら相づちを打ち、時折首が痛くなる。ときには、このまま首がつるのではというスジ系の痛みが襲う。
綾は優しいけれど、私を紹介する前に「ママの話が長いのが苦痛」とこの仕事のデメリットについて説明してくれていた。

内容はたいがいママの身の回りのことについてなのだが、微に入り、細に入り、延々と説明してくれる。
例えば、あるケーキがおいしいという話だとしよう。そのケーキがいつ、誰に紹介されて、その人の職業は何でその会社のビルには自動改札のような入り口があり、秘書が二人居るが片方の方が仕事ができ、かつてその会社に集金に行ったときに乗ったタクシーの運転手が群馬の外国語学校を出ており、スペイン語が喋れ、スペイン語とイタリア語というのは似ているというが、私はスパゲッティは好きだがピザは嫌いで、で、そのケーキがおいしいのよ。

最終的にケーキに戻れたら幸いである。
ある出来事の説明に出て来た人物は、ちょい役だったはずなのにいつの間にか主役になり、話の潮流はあらぬ方向へ発展する。

相手に必要なことしか話さない私にとって、それは一種カルチャーショックだった。
そしてそのワールドでの出来事はママの管轄下に置かれているため、私の生きる21世紀とはまた異なる常識を持ち、それほどまでに説明されても結局よく分からなくなる。

そして多少のワールドの不思議さについては目をつぶり、受け入れ、受け流す必要がある。だって、ここは彼女の作り上げたワールドなのだから。
そうやって、銀座の片隅に今夜もこの店は佇む。